深い川を越えて、夜明け

セクシャリティやhsp…自分と社会について

自分のセクシャリティについて語り出す

 ブログを始めてみよう、と思ったのは、おそらく自分の中ではごく自然に受け止めてきた、自分自分たらしめている部分…しかし、これまではアイデンティティとしての優先順位が低かったものだから、あまりアレコレ考えては来なかった部分を言葉にして記録しておきたい、と思ったから。

そして、つい最近信頼できる知人(性的マイノリティ当事者)に、自分はパンセクシュアル(全性愛者)であることをカミングアウトしたら「セクシャリティを探る旅は続きますね」とにっこり返された、そのことが大きい。

 生物学的には「女」として生まれ、そこには対してほとんど違和感は感じてこなかった。それでも自分が「男性」だけでなく「女性」も好きらしい、と気づいたのは中学生の頃。きっかけは同じ部活の後輩(女子)が夢に出てきて、次の日から彼女を意識するようになった。その頃は同性同士の恋愛なんて知識もなかったし、特に進展することもなく、そのまま過ごしていたけれど…

 母親にこっそり「女の子も好きらしい」と打ち明けたら、笑って「思春期には同性を好きになることなんでよくあること」と言われ「そんなもんかな」と流してしまったことも関係するかも。

 運が良いことに?母親はじめ、周囲の人の中で性的マイノリティをあからさまに差別する人も非難する人もないまま育った。人間だから、いろんな人がいて当たり前、そんな認識を肌で感じながら大人になったと思う。そしてそれは、今の自分のベースを形成している。

 セクシャリティについてこんなふうに文章にしたり言葉にするのは始めてのこと。でも今とても大事なことなんだ。LGBT理解増進法が、当事者たちの声を反映しないまま強行採決されたり、与党の中で性的マイノリティに対する差別や偏見が顕著な今。一部の宗教者たちも、教義を歪めて「異性愛でなければおかしい」と、追い詰めようとしている今。

これから、少しづつ整理していく。