深い川を越えて、夜明け

セクシャリティやhsp…自分と社会について

物心ついて初めてのジェンダーの壁!

 幼稚園に入園する時、青いバッグを買ってもらった。昭和を覚えている方ならピンと来るはず、当時たいていの子ども用品は男女にはっきり分かれていた。

 男の子のは青がメインでウルトラマンや戦隊モノなど、女の子のは目がキラキラしたかわいいキャラクターもの。

 当時の子ども向けのそうした用品の赤色が、色味いい深みのなさといい、わたしの気に入らなかった。なので、好きな色である青を買ってもらった。戦隊モノも好きだったし。

 ところが意気揚々とそれを下げて初登園したところ、周りの子達に珍しがられ、男物だよ、おかしい、とからかわれて…即、挫折。

母に「やっぱり赤いの買って…」とお願いして、買い直してもらった。取り囲まれて、なんやかや言われた居心地の悪さは今も忘れない。

 ちなみに、周りの視線をもろともせず赤いランドセルで通学し続けた男性と、大人になってから知り合ったが、その時自分の体験を思い出し「ああ、あの時挫折していなければ、もっと違う人生を歩めていたのではないか…」とちょっと悔やんだりした。

 こうして人は、「男らしさ」「女らしさ」を、外から作られていくのだと思った。青が男で赤が女、など、人間が勝手に決めたものだ。だから女の子が青を選ぶと「女らしくない」「男みたい」と言われるが、それも人間の勝手な判断である。習慣と文化と伝統の中で、「男」と「女」は、人の手によって作られてきたのだ。

その強要は色の選択だけでなく、言動や見た目、全ての領域に渡る。

 

 わたしは生物学的には「女(メス)」だが、そのような社会の基準に、社会が求めるものに当てはまらないという意味では「女」ではない、と言える。

 そしてそもそも男か女か、ではなく、「自分」として生きたいと思っている。

 

「正しい女の子」はリボンやフリル、赤色を好み、スカートを履き、髪が長く、男の子を好きになる…そこから外れると、ちょっと変わってるね、ボーイッシュだね。と女児たちは言われてしまう時代、幼少期を過ごした。

 ありがたいことに時代は少しだけ変わって、ランドセルに関して言えば今、赤を選ぶ女児は減った。選択肢が飛躍的に広がったから。性別関係なく使えるものも増えた。

 それは女の子(男の子)らしくないんじゃない?と咎められることも減っただろう。

 少なくとも言語的コミュニケーションの上では、息がしやすくなったのかも。

 それでもまだまだ全然、途上だと思うのだけれど。

 

#幼稚園バッグ#ジェンダー